蝉取り

■20181114(水曜日:曇)

 

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■今朝はゆっくりと休みました。昨夜は10時過ぎにはどこに入り、いつものように Kindle で「サピエンス全史」の再読をしました。これで3度目です。この本は何回読んでも新たな発見があり、飽きることがありません。少なくとも15万年前には東アフリカに現れたであろう私たちの祖先がどのような経過を経て、現在この地球に存在する唯一のホモ属となったのか。その歴史をわかりやすく語っています。

 

10時半頃でしょうか、読書もやめて寝入ろうしたのですが、なかなか寝付けません。なぜ寝付けないのか訳が分からずに、あれこれ思い悩む時間を経たのですが、やがてひょっとしたら寒くて寝付けないのかなと気づきました。薄い毛布を掛け布団の上からかけてみました。これが正解でした。ここのところ暖かな夜が続いたので、寒くて寝付けないなどとは、まさに夢にも思いませんでした。昨夜のテレビの天気予報では、寒気の南下に伴って、北海道の宗谷地方では平野でも雪が降る可能性がある、とのことでした。きっと吹雪いているのかもしれません。数年前にSunと一緒に8月の末に宗谷岬を訪れた時には、日が暮れ始めると、もう寒いのです。その夜泊まった民宿には、なんとストーブが置いてありました。さすがにストーブを使うことはありませんでしたが、その違いには驚くばかりでした。

 

■さて先日訪れた川口での中学校同期会のことです。こうへいちゃんとの待ち合わせまで1時間ほどありましたので、川口駅西口から以前住んでいた団地跡地まで、ゆっくりと歩いてみました。50年前には川口駅西口から歩き始めると燃料研究所、私たちは「ねんけん」と呼んでいましたが、その大きな敷地の中を通れないために、かなり迂回しなければなりませんでした。 現在では「ねんけん」は無くなってしまい、区画整理が進み、駅前からの道路は一直線に西に向かっています。 昔は家に帰るのに、どんなに急いでも10分以上かかりましたが、今ではその半分でたどり着くことができました。

 

途中、川口市立西公民館の建物を見つけました。50年前には周囲に高い建物がありませんでしたので、とても大きな建物だった、と記憶していたのですが、今ではひっそりと建っているに過ぎません。あの当時、鋳物工場を別にすれば、高い建物といえば、この市民会館と、私たちが住んでいた三階建ての公営団地ぐらいしかなかったのです。

 

団地跡地に着いたのですが、今では3階どころか、10階以上はあろうかと思われるマンションが建っていました。 道路を隔てて北側にあった、当時とても大きく思えたお寺は、今ではビルの谷間に隠れるように残っていました。妙仙寺です。 境内に入ってみました。子供の頃、夏休みになると毎日のように蝉取りに出かけたものです。天にまで届くのではないかと思えるほどの大きな木に思えたのですが、先日訪れてみると、意外なほどにこじんまりとした木でした。

 

 

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50年後

■20181113(火曜日:曇)

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川口総合文化センターリリアです。さすがは中核都市です。

 

■今朝は走りました。昨夜は何度も目が覚めてあまり熟睡感が得られなかったのですが目標達成には、そろそろ積み上げが必要になってきました。昨夜は雨音が何度も聞こえましたので結構雨が降ったようです。目覚ましの音で起きた時には雨音は聞こえませんでしたので、もう雨は上がっているだろうと思い準備を始めました。雨のおかげか幸い冷え込みはゆるく、起き出すにもそれほど辛くはありませんでした。着替えの準備は昨夜のうちにしておきましたので、生ゴミのビニール袋を持って玄関を出ました。結局今日は10.78 km を走り、これで今月は総計46.01 km 残り17日で53.98 km となりました。パソコンが教えてくれる目標ライン13日目を、やっと超えました。 最初の2 km から3 km は体が温まっていないせいか走り方もぎこちなく、一向に足が前に出ませんでした。3 km を過ぎてくると、ようやくスムーズに進むことができるようになり心地よく走ることができました。

 

今月は何かと会議が多いひと月です。今月が無事に終われば、来月は忘年会などはあるものも、自分自身で準備をしなければならない会議はありませんので、今月が最後の山場です。

 

■日曜日に参加した中学校の同窓会ではほぼ50年ぶりに同期生に会うことができました。 私たちが中学校を卒業したのは1969年昭和44年ですから、ほぼ半世紀となります。今回私は卒業後初めて再会しましたので、ほぼ50年ぶりとなります。オーヘンリーの短編に20年後という作品があります。とても有名な作品ですのでお読みになった方が多いと思います。 Wikipedia によれば、

 

ボブとジミー・ウェルズはある場所で20年後に再会する約束をした。ボブが待っていると夜中に巡回中の警察官がやってきて、ボブはジミーとの約束や西部での成功体験を語る。警察官が去った後、 ジミーと思しき背の高い男が現れ、2人は共に歩き始めるが、明るい場所に出たところでボブは背の高い男がジミーではないことに気付く。背の高い男の正体は警察官であり、指名手配されていたボブを逮捕しに来たのであった。

警察官がボブに手渡した手紙から、最初に現れた警察官がジミーであり、ボブが指名手配犯であることに気付いたが自身の手で旧友を逮捕したくなかったため、別の私服警官を派遣したことが明かされる。

 

私たちの再会はほぼ50年ぶりですから、この作品の中の二人の出会いの倍以上の年月が経っているわけです。会場の料亭二階の部屋に入った時、女性7名男性12名ほどが参加していたのですが、こうへいちゃん以外の出席者の顔に見覚えは全くありませんでした。まさに浦島太郎の心境でした。

 

 

憧れ

■20181112(月曜日:曇)

 

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川口駅西口から見た東口の様子です。

 

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。2日続けて朝走りましたし、昨日は埼玉県川口市で行われた中学校時代の同窓会に出席し2次会に行ってカラオケまでしましたので帰宅が遅くなりました。月100 km 走の目標達成までは、まだまだ遠いのですが、ここは一回ゆっくり休み、また明日からの積み重ねをすることにしました。

 

 

■昨日はゴルフを欠席してまで出席することにした、同窓会に出席するために、まずは原駅 9 時 39 分発の電車に乗って三島駅まで行き、新幹線に乗り換えました。ちょうど三島駅に止まるひかりに乗れたのは良かったのですが、超満員で自由席では座席が一つも空いていませんでした。こんなことは初めてでした。急ぐ旅でもなかったので、こだまにすれば良かった、と後悔しましたが、良い勉強になりました。新横浜駅までは立ちんぼでした。

 

 

京浜東北線で川口駅まで行き予定通りたどり着くことができました。Kouheiちゃんとの待ち合わせまで、1時間近く時間があったので駅から歩き始めました。西口で降りて一直線の道を歩き始めました。幅があり、ゆとりのある歩道を歩きながら、かつて住んでいた団地のあった場所に向かいました。途中、川口市立西公民館を発見して驚きました。昔、家から駅に向かうときに歩いて5分ほどの所にあったとても大きな建物だったのです。ところが今では周りに高層ビルが建ってしまい、目立たない存在になってしまったのです。もちろん昔のままではなく、何度か建て替えられたに違いありません。それでもあまりの目立たなさに拍子抜けがしたほどでした。

 

 

以前団地として住んでいた場所に、その後に建った高層マンションを写真に収めました。マンションの前の道路を挟んで建てられたビルには、医療モールがあり、整形外科、小児科、そして皮膚科が同じビルの中に開設されていました。団地に住んでいた3歳頃から19歳まで、二階の窓から道路越しの風景を、よく見たものです。その頃には、まだ畑があり、キャベツを栽培していて、モンシロチョウが湧くように飛んでいたことを覚えています。そして、その医療モールの横の細い横丁を入っていくと妙仙寺というお寺がありました。小学校の頃、夏休みにはこの寺の境内で山ほど蝉を取ったことをよく覚えています。

 

 

その横丁で、映画の撮影が行われたのです。吉永小百合さんの映画です。キューポラのある街でスターになった吉永さんが、浜田光夫さんとコンビを組んで撮影されていたシリーズ物でした。妙仙寺の塀の上に登って、たくさんの野次馬に混じって撮影風景を見ました。はっきりと脳裏に焼き付いています。

 

 

さて、街をぶらぶら歩き荒川の土手の方へ向かいました。ある交差点にたどり着くと標識がありました。浮間ゴルフ、こちらと書かれてあったのです。ゴルフハウスは荒川の土手の手前にあり、土手を越えて荒川の河川敷にゴルフコースが広がっています。階段を上り、土手まで登ってみました。

 

 

土手に登って真西の方向を見ると、そこには母校、川口市立西中学校はあるのです。残念ながらそこまで行く時間がありませんでしたので、荒川沿いの写真を東西にわたって何枚か撮りました。東の方向を見れば、京浜東北線の走っている鉄橋が見えるのです。その風景は映画「キューポラのある街」でも登場しています。

 

 

時間も押し迫ってきましたので、慌てて土手を下り、また駅に向かって歩き始めました。駅へ向かって歩いて少し路地に入った所に川口市立飯塚小学校のあることが分かりました。以前Sunと歩きながら見つけた、あの頃のままでした。二宮尊徳像も当時のままに設置されていましたが、50年前とは向きが逆になってるように思いました。かつては小学校の校舎玄関脇にグラウンドを見つめるように立っていたのです。朝礼がある時には、かならず尊徳さんが、みんなを見つめていたのです。

 

 

さて、時間も押し迫ってきたので急いで駅に向かいました。考平ちゃんの携帯に電話をして三、四分遅れることを詫びました。こうして、待ち合わせの時間の12時よりも5分弱遅れて辿り着きました。場所は川口駅東口前にあるビルの玄関にある時計台の下です。無事待ち合わせも終わり2人で同窓会の会場に向かいました

 

会場の料亭までは待ち合わせの場所から歩いて五六分でしたでしょうか。東口の繁華街を抜けていくのですが、もちろん昔と全く様相が変わっていて思い出すにも寄る辺がありません。その人出の多さといったら、静岡駅前の繁華街を歩いた時以上のものです。さすがは人口70万に届こうかという中核都市だけのことはあります。京浜東北線の各駅停車に乗っても、東京駅まで30分程ですから、住む人が多いのも頷けます。私が家族と共に住んでいた1950年代後半から1960年代においては川口は、まさにキューポラのある街だったのです。鋳物工場が軒を連ね、独特の匂いが街に溢れていました。

 

私が住んでいた団地の西側の道路の向こう側には、やはり鋳物工場がありました。子供仲間で、その工場の長屋のような従業員住宅の前で、べいごまをしてよく遊びました。各家庭から流れでる排水を流す排水溝脇で、みんなでべいごまをして遊んだことを覚えています。

 

今では工場のあった場所にもマンションが建っており、当時の面影は全くありませんでした。当時団地は3号館まであり1号館の一番西側の二階に住んでいました。間取りは二DKでした。子供3人、家族5人で住むには今ではとても狭いと感じますが、当時は文化住宅と言われていた団地は、とても住みやすかったのです。

 

鉄筋コンクリート造りですから何よりも暖かかったのです。子供の頃にはエアコンなどというものが入った家はほとんどありませんでしたから夏は窓を開けて換気するしかありませんでした。扇風機を回して暑さをしのいでいたのです。

 

エアコンが入ったのは確か、姉が仕事についてから、いや兄が社会人になってからだったのではないでしょうか。夏がこんなにも楽になるとは、当時思いもしませんでした。両親も、そして姉も亡くなり、残るは2歳年上の兄と私だけになってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

同窓会

■20181111(日曜日:晴れ)

 

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■今朝は走りました。6.11km を走り、総計 35.22km 残り19日で 64.77km です。

 

昨夜は仕事が終わってから歯医者さんに行って、歯の手入れをしてもらいました。手入れと治療を交互に毎月してもらっています。やはり体の手入れは、本当に大切です。患者さんには、いつもこう話します。「人間は生まれた瞬間から中古車に乗っているのです。車のように途中で新車に乗り換えることはできません」と。手入れをしながら乗り続けるしかありません。こんなことは自分が歳を取るまで考えもしませんでした。

 

■夕方Sunと二人で街に出て、旅行代理店に行きました。来年5月のGWにオーストラリアに行く、その準備です。まず驚いたのは、お店に行くと二人用の席が4つあるのですが、全部が埋まっていて、それぞれ担当者が説明にあたっていました。順番ですので札を受け取ってお待ち下さい、と言われました。まるで回転寿司の順番待ちのようです。ちょうど3時半頃でしたから、一番混雑する時間帯だったのでしょうか。

 

待つこと15分ほどでしたか、一番右端の席が空き私達の予定や希望を聞いてもらいました。再度驚いたのは、来年GW中のツアーのパンフレットは、来週16日に届くのだそうですが、先週届いたハワイ向けのツアーは、全て即日完売だったそうです。ということは、16日前に予定や希望をしっかりと決めて伝えておかないと、手遅れということになりそうだ、ということです。

 

さっそくTakuやAyaちゃんに連絡して、日程の調整をしなければなりません。帰国する日は決まっているのですが、その前を、どのように過ごし、どのように移動するのか。なかなか適当はツアーが無いようで、頭の痛いところです。こちらの思い通りには行きません。

 

■さて今日は懐かしい中学校時代の同窓会です。幼・小児期を過ごした埼玉県川口市立西中学校の同窓会です。仲の良かったKouheiちゃんが誘ってくれました。彼とは卒業後も、ずっと付き合いがあり、退職後に地元で生活している彼が、仲間を募って、時々同じクラスだった仲間と同窓会をしていたようです。担任の先生との繋がりが未だにしっかりとあることに驚きました。今回は、ついでにクラスが違う私にも声を掛けてくれました。

 

中学校を卒業したのが1969年です。昭和44年。確か二年生の時に校舎が新築され、プールも出来上がり、そしてなにより校舎が鉄筋コンクリート造りとなり、お手洗いが水洗となりました。つまりそれまでは、ボットン便所だったのです。学校でお手洗いに行くのは苦痛でした。小学校の時に川口に移り住んだ私達家族は、当初から団地住まいでしたので、トイレは最初から水洗でした。でもまだまだ一般家庭では水洗便所は珍しかった時代なのです。団地が文化住宅と言われたのも、そんな理由があったのです。

 

小・中学校は歩いて登校しましたが、高校からは電車通学でした。中学校は荒川沿いにありましたから、教室の窓から荒川の堤防を、よく眺めたものです。近くに水門があり、荒川の氾濫を防いでいました。美術の授業で、その水門を描いたことを、よく覚えています。美的センスの全くない私は、いつも通信簿は5段階で2でしたが、どういうわけか、その水門を描いた絵だけは、先生が褒めてくれたことも、嬉しい思い出として鮮明です。美術の先生に褒められた、などということは、後にも先にも、その時だけでした。Takuも美術の才能が無いようですが、それはひとえに父親の責任です。

 

(●^o^●)

 

でもTakuも私も絵を見ることは好きなので、二人でよく美術館へ行きました。それも楽しい思い出の一つです。

 

というわけで、午前7時55分になりますので、そろそろ出発の準備をしなければなりません。ロータリークラブのコンペが重なってしまい、今日は行く予定ではなかったのですが、内館牧子さんの「すぐ死ぬんだから」を読んで気持ちを変えました。ゴルフはいつでも行くことができるが、この同窓会はこれで最後だろう、みんながどんなふうに歳を取ったのか、そして毎日をどのように送っているのかを知りたくなったのです。Kouheiちゃん以外の出席者は、たぶん一人も分からないと思いますが、それも一興でしょう。高校時代の同窓会は、男子校でしたので男ばかりでしたが、今回は女性も出席するはずです。まさに「すぐ死ぬんだから」の世界です。どうなりますことやら。

 

(●^o^●)

 

 

 

 

 

人工知能と滑舌

■20181110(土曜日:曇)

 

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ハノイ旧市街地の様子です。バイクで大混雑です。

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。2日続けて走りましたので、今日は休息の朝です。今月はやっと30 km を走りましたが、まだ7割が残っています。明日の朝、少し長めに走って距離を稼がないといけません。

 

今この原稿はクロームブックで書いているのですが、 Google ドキュメントで使用可能な、ツールからの音声入力を選択して使用しています。先日の地区大会で聞いた講演で、勝間和代さんが触れていた「Simeji」を使った音声入力もスマホで試しています。私の通信環境、つまり LINE モバイルによる格安 SIM と Huawei のスマホでは、接続がスムーズにいかないのか、かな漢字変換ができないことが結構あります。 Google の音声入力ソフトでは、そうしたことがスマホでもほとんどありません。

 

今 Google 音声入力で書いているのですが、変換にかかる時間も十分俊敏で、イライラすることは、ほとんどありません。ただ Google の音声入力の場合、句読点を変換することができません。 iPhone では、「、」と「。」を音声だけで入力することができます。やはり文章を書くとなると、この違いは大きいのですが、ただ Google の変換においても、「、」を打ちたいところでは、キーボードから「、」を入力し、エンターを押して、そしてそのまま続けて音声入力をすれば、何の問題もなく文章を作成していくことができます。

 

音声からの変換効率については、十分正確だと私は感じています。もちろん完璧ではありません。例えば今入力した、「十分性格だ」という部分は、「十分正確だ」が正しいのですが、何度発音しても、「十分性格だ」になってしまいます。私の発音が良くないのかもしれません。なるべく口の中で、こもることのないように、滑舌にも気をつけているのですが、どんなに気をつけても、個人の癖のようなものがあるのかもしれません。 Google の人工知能 AI には、私の発音の中の、ある単語がとても聞きにくいのかもしれません。あるいは単語そのものの発音というよりも、その前後の言葉から人工知能は推察しているのかもしれませんので、その辺りを工夫してみると、変換効率が上がるのかもしれません。

 

そうしたいくつかの改善点は見られるものの、一度音声入力による文章作成を経験すると、その便利さはやみつきになります。つまりは生産効率が格段に上がるということです。試したことのない方に、ぜひ勧めたいと思っています。

 

また、より良い滑舌の練習にもなると私は思います。つまり人工知能にとって聞きやすい発音というのは、会話の相手にとっても聞きやすいということです。普段から人工知能を相手に、わかりやすく発音する練習をしておけば、それは会話の際にも、あるいは人前でお話をする際にも大変有効なのではないでしょうか。そんなことも感じるようになりました。

 

 

全域停電

■29181109(金曜日:曇)

 

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ハノイにあるスーパーマーケットで売られていたフランスパンです。30センチほどの長さのパンが、一個 25 円ほどです。

 

■今朝は走りました。昨日走りましたし、夜はロータリークラブの沼津四クラブ合同例会があり、100名以上の仲間と楽しいひと時を過ごしました。私はカメラマンに徹して、みなさんが楽しそうにしている様子を撮って歩き回りました。大先輩も若い会員もいるところが、良いところです。

 

 

今朝は3時半頃目が覚めて、再度寝たのですが、5時に起きた時には、疲れもあったのか、なかなか起き出すのが大変でした。もう今朝はこのまま休んで、明日走ればよいか、とも思ったのですが、とにかくゆっくりで良いから、と自分を言い聞かせて起き出しました。

 

 

3キロまでは体が重くて辛かったのですが、そこを過ぎるとスムーズに脚が前に出るようになり、気持ちよく走ることができました。そこまで行くのが大変なのです。6.10km を走り、総計 29.11km となり残り21日で 70.88km の地点まで来ました。まだまだ、これからです。

 

 

■北海道での地震による全域停電には驚きました。新聞には、以下のように解説されています。

 

 

2018年9月6日未明に起きた地震で、北海道内の電力需要の約半分を担っていた苫東厚真火力発電所 1、2、4号機(厚真町、出力計165万 kw)が全基停止。北海道電力は低下した供給力に合わせて需要を下げようと、強制的な停電を試みたが、需給のバランス調整に失敗。道内ほぼ全域の295万戸の停電を引き起こした。このように電力会社の管内全域に及ぶ大規模停電を「ブラックアウト」と呼ぶ。

 

このブラックアウトを引き起こす4ヶ月前に、経済産業省資源エネルギー庁の専門委員会で以下のような議論がなされていました。「発電所一基の計画外停止が与える影響が大きい北海道では、厳寒時の需給逼迫が国民の生命・安全に及ぼす影響が甚大である」つまり北海道電力の供給体制は脆弱であり改善が必要であると2010年以降毎年のように委員会は警鐘を鳴らしてきたのです。

 

 

北海道電力では泊原発と苫東厚真火力発電所が電源の柱となり、二つの総出力は1日の最大需要の7割以上を占めています。 報告書によれば北海道電力は2013年から17年度の5年間に投じた火力や水力を含めた発電所への投資総額の実に半分以上が原発への投資だったのです。廃棄物の最終処分方法が確立されていない原子力発電は経済的に優れている、と言われてきました。しかし現在では単位発電量あたりの経費も以前のようには再生エネルギーと比較しても決して安くないことが判明しているます。経済的だから原発を進めるべきだという意見はもう通用しないのです。原子力発電は、もはや危険なだけでなく、決して経済的でもないのです。

 

 

北海道では太陽光や風力など再生可能エネルギーの適地とされているにも関わらず設備投資が、なおざりにされているのはとても残念なことです。

 

 

アメリカの役割

■20181108(木曜日:晴れ)

 

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ハノイのスーパーマーケットの様子です。

 

■今朝は走りました。さすがに、予定からの遅れが放置できない状態になりました。今朝も3時過ぎに一度目が覚めてお手洗いに行きました。普段なら、その後に熟睡できて、ちょうど5時頃に目覚めて塩梅よく行くのですが、今朝はうまく行きませんでした。なかなか寝付けずに、5時を迎えてしまいました。それでも何とか起き出して、準備運動を済ませ、5時半には走り始めることができました。寒さのためもあってか、走り出して3キロを過ぎないと、体が重くて容易に前に進むことができません。結局今朝は、6.08km を走り、総計 23.01km 残り22日で 76.98km となりました。

 

■さて米国の中間選挙が終わり、新聞の一面にはトランプ大統領への厳しい批評が掲載されています。例えば東京新聞は、

 

「米国第一」に厳しい審判 上院は維持、ねじれ議会

 

と、あります。「分断社会 溝の深さ露呈」ともあります。記事を読むと、トランプ大統領が諸悪の根源で、分断を先導し煽っているかのごとく感じられますが、因果関係が逆ではないかと私には思えます。つまり行き過ぎたグローバリズムにより、社会が分断され亀裂が深まった結果としてトランプ大統領が登場した、という意味です。

 

トランプ大統領が退任したからといって、社会の分断が解決できるわけではないのです。移民の受け入れにしても、もうアメリカ社会には無制限に受け入れてられるだけの余裕がなくなった、ということです。20世紀初頭のように、世界中から移民を受け入れられるだけの空間的にも、経済的にも、それだけの余裕がアメリカには、もう無くなったのです。その現実を受け入れないと、建設的な議論ができないように思えます。

 

それは歴史の大きな曲がり角です。アメリカの一つの役割が終えようとしているのです。