教養

■20180416(月曜日:晴れ)

 

s_20180416

三河安城駅駅前の様子です。午前中の大荒れから一転、青空となりました。

 

■今朝は走りました。いつものコースを走り 6.12km を積み上げました。これで総計 59.89km となりました。残り14日で 40.10km です。

 

先日の人間ドックでの結果では、LDLコレステロール値が高く、ちょっと驚きました。LDL/HDL が2未満ですので、ギリギリセーフということのようですが、運動が足りていないのか、食事を工夫する必要があるのか。再検討しなくてはいけません。

 

昨日はTomo君に会うために名古屋に出かけました。新富士から新幹線で三河安城駅に行きました。三河安城駅には初めて降りました。いかにも駅に合わせて作られた街という感じの、整った町並みでした。

 

SunとTomo君のお父さんと三人でレストランで昼食を食べながら、楽しく歓談することができました。いよいよ新しい一歩をNonも踏み出したことになります。親としては応援してあげるしかありません。

 

■先日の東京新聞の「時代を読む」欄での貴戸理恵さんの指摘は大切だと思いました。題して、「弱者の敗者化」です。

 

「所得の多い家庭の子の方が、より良い教育を受けられる傾向」をどう思うか?、というアンケート結果について、10年前には「問題だ」だ多数派だったのですが、「やむを得ない」、「当然だ」という回答が6割を超え多数になった、というのです。

 

教養とは何かという、根源的で、とても大切な事を、最後の一節は私たちに問いかけている、と私には思えるのです。

 

「自分が将来有利に生きるため」とするならば、教育は個人を豊かにするだけの私的財に過ぎなくなる。かつては「国や社会の役に立つ人間になるため」という答えがあったが、そうした言い方のリアリティーは、教育が大衆化した現在では失われている。

 

現代において、教育を、個人の利害を超え、他者や社会へ個人をつなぐものとして捉えなおすにはどうしたらよいか。考えていかなくてはならない。教養とは本来、「不当さ」をその身に引き受けさせられた他者への想像力を、可能にするものであるはずなのだから。

 

 

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