節分

■20190203(日曜日:晴れ)

 

s_20190203

ゴンドラが登ってきています。駅からゲレンデに向かう回廊です。十勝平野が一望です。

 

■今朝は走りました。6時に目覚ましをかけて起き出して、準備運動をして走り始めました。6時15分を過ぎると、もう明るくなってきますので、走るにしても安心です、今日は10.64キロを走り、これで今月は16.76キロ、残り25日83.23kmとなりました。今月は28日しかありませんので、いつものペースでは間に合わなくなります。今朝はいささか体も重く、スムーズに走れたというわけにはいきませんでしたが、キロ6分49秒で走り切ることができました。このペースでずっと走り続けることができれば、フルマラソンで5時間を切ることができますが、10キロでこれですから、フルマラソンを通して、このペースで走るのはほとんど無理です。鍛錬が全然足りません。まぁ嘆いても仕方ありませんので、少しずつ積み重ねるしかないようです。

 

■さて今日は節分です。Wikipediaによれば、

 

節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。

 

とあります。いよいよ明日は立春です。12月22日の冬至から毎日少しずつ昼間の時間が伸びてきています、最近は仕事が終わって窓の外を見ると、まだ空が明るい状態です。少し前には仕事が終わっても真っ暗で、空は見えませんでしたが、毎日少しずつではありますが、春が近づいてきている訳です。ほとんどの場所で大寒(1月21日頃)と立春(2月4日頃)の間が一番寒い時期です、とありますので、寒さの底は打った、ということでしょうか。なんだか、そう聞いただけで心が温かくなるのは気のせいでしょうか。

 

■今朝の東京新聞生活欄、家族のこと話そう、では絵本作家なかやみわさんがご自分の家族について語られています。仕事を持つ女性として、ひとり息子さんの子育てには苦労されたようです。保育園に迎えに行くのが遅くなり、「お迎えが最後になるのが寂しかった」と中学生の時の作文に、息子さんに書かれたこともありました。最後になかやさんはこう書かれています。

 

大事にしているのは息子の人生を尊重すること。息子には息子の生き方がある。経験者として助言はするけれど親として「こうしてほしい」とは言いません。高校1年になった息子は鉄道好きで、学校でも鉄道研究部に入っています。無理やり運動部に入らせる親もいますが、私は自分のイメージの枠にはめることはしたくないのです。

 

これはしかし大変難しいことです。息子をひとり授かった父親として、心底そう思います。息子に対する思いというのは、母親と父親とでは当然違ったものになるはずです。一人の人間としては娘であろうが息子であろうが違いがないのですが、父親は男としての人生しか経験がありませんし、想像もつかないのです。したがって、息子の人生には自分の人生をどうしても重ねてしまいます。重ねてしまうだけに期待もするし、逆に失望もしてしまうのではないでしょうか。

 

息子の生き方を尊重すると母親が宣言する場合と、父親が宣言する場合とでは、少し意味が違ってくるように、私には感じます。父親には男として生きてきた自分の人生と、息子のこれからの人生への思いが、どうしても関連付けられてしまうのです。自分の人生はこうだったから、息子にもこうして欲しいと思うこともあるし、逆に自分の人生ではこうだったから息子にはそのようになってほしくないと思う面がある訳です。それでも結局一番大切なのは何かと問われれば、なかやさんが言われる通り、息子の生き方を尊重する、という言葉に尽きるのではないでしょうか。

 

息子が立派に独り立ちして、自分の力で生きるようになった今でも、父として息子と関わった時間が、あれで良かったのだろうかと、今でも私は自問自答するのです。

 

 

 

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