誕生日

■20180821(火曜日:晴れ)

 

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■今日は私の65回目の誕生日です。自分自身が65歳になるなんて、本当に夢のよう、というか悪夢のようです。

 

(●^o^●)

 

大学に入りたての頃、テニス部の先輩に、「おまえ何年生まれだ?」と訊かれて、「昭和28年です」と答えて、驚かれたのを覚えています。その先輩にとっては、別世界から来たかのように感じられたのでしょう。それがいつの間にか、後輩たちが平成生まれと聞いて、本当に驚きましたが、あの当時の先輩の気持ちが分かりました。

 

■今朝は走りました。昨夜は暑苦しくて寝苦しかったのですが、何とか起き出して、いつものコースを走り、6.14km を積み重ねました。これで 76.29km となり、残り10日で 23.70km の所まで来ました。あと4回走れば目標達成です。

 

■65歳になったからというわけでもないのでしょうが、アチラコチラの衰えというか筋肉痛で困ります。最近はランニングやゴルフの後には、ヘソから下の丹田と呼ばれる部分の筋肉痛に襲われます。横になった状態から起き上がろうとすると痛みます。今まで、そのようなことは無かったように思います。

 

ということで、何だかんだとブツブツ言いながらも元気は元気です。ここ数年は風邪をひいていません。これは有り難いことです。気管支が弱い私には、これが一番のご褒美です。冬でも暖房はコタツだけ。夏でも寝る時には冷房はかけません。走り続けているおかげで、風邪に苦しむこともないのかもしれません。

 

これから先、どうなることか想像もできませんが、とにかく積み重ねていくしかありません。将来を思い煩っても、なるようにしかなりません。なすべきことを、毎日積み重ねていく。それだけを考えて過ごしていくしかなさそうです。

 

 

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丹田

■20180820(月曜日:曇)

 

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■今朝は走りました。いつものコースを、6.11km 走り総計 70.15km 残り11日で29.85km と30キロを切るところまで辿り着きました。相変わらず右太ももの違和感があり、不安を抱えながらのランニングなのですが、何とかだましだまし完走しています。

 

昨日はゴルフでしたが、最近は困ったことに、終わって家に返ってくると筋肉痛に襲われます。特に最近は、丹田、つまりはへそから下の部分の痛みを来すようになりました。

 

ランニングコーチの金 哲彦さんが、丹田に力を入れて前傾姿勢を保って走ること、と指導の中でよく話されています。今まで、ゴルフの後に丹田部に痛みを覚えるということは、あまり無かったように思います。それだけしっかりと丹田に力を入れて打つようになった、と言えばプラスのように聞こえますが、実は丹田の筋肉が衰えてきて、今までの運動量に耐えきれなくなった、というのが真実かもしれません。

 

要は、年を取って筋肉量も減り、力も衰えてきた、という単純にそれだけの話しかもしれません。以前毎日していた腹筋運動を、再開したほうが良い、という兆候なのかもしれません。困ったものです。

 

 

沼津の海

■20180818(土曜日:晴れ)

 

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■今朝は走りました。爽やかな朝です。昨夜は本当に秋が来たのかと思える、ちょっと冷え込むほどの夜でした。窓は全て閉めて寝ました。

ということで、今朝は爽やかな空気の中を、のんびりと 6.09km を走り、残り13日で35.96km の残となりました。あと6回走れば目標を達成できます。しかし相変わらず右太腿の痛みが消えません。負担を掛けないようにはどうした良いか、思案しながらのランニングでした。普段は捻ったりしなければ、ほとんど痛みを感じないのですが、なかなか完治しません。

■さて昨日の東京新聞には、とても嬉しい記事が掲載されていました。「エンタメ 日和」です。昨日取り上げられたのは、映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」でした。

 

漫画家の押見修造が実体験をもとに描いた同名のコミックを、実写映画化した青春ドラマ

 

と、あります。副題には、「沼津の海に心和む」とあります。かつて同様に沼津の海に魅せられた一人としては、ぜがひでも観たい映画です。残念ながら今のところ静岡市でしか見ることができません。もちろん内容も素晴らしいようです。吃音(きつおん)という障害を持つ主人公が、不器用ながらも仲間と心を通わせ合う。誰もが、本当は孤独で自分の心の殻に閉じこもっているのです。

40年近く前でしたが、沼津の海は本当に光り輝いていました。あの輝きは忘れることができません。

 

敗戦記念日

■20180815(水曜日:雨)

 

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■今朝も走りました。蒸し暑くて寝苦しかった頃から見ると、本当に楽になりました。暑さと湿気が重苦しく頭を押さえつけていたような、あの頃の気候からは、もう季節が完全に移ったように思えます。

今朝もいつものコースを走り、6.13km を積み重ねました。これで、57.94km となり、残り16日で 42.05km で目標達成です。

■東京新聞の連載記事「象徴天皇と平成」は読み応えがあります。「第6部 戦争と平和 上」は、以下の目的を持って始められています。

 

天皇皇后両陛下は15日、在位中最後の全国戦没者追悼式に出席される。昭和から平成へと時代が変わり、戦火の記憶が風化する中、陛下は折に触れ、戦争への反省と平和の尊さを語り続けてきた。

戦時中は軍国少年だったという陛下が、戦後の新憲法下で象徴天皇のあり方を模索していく歩みは、父・昭和天皇の実像を知るところから始まったとされる。

資料や関係者の証言で、平和を希求する陛下の原点を探る。

 

戦前誰もがそうであったように、平成天皇も「少国民で軍国少年だった」とある学友は、戦前の陛下を評しています。ある日の陛下の作文には、こう書かれています。

 

日誌は1945年4月29日付で昭和天皇の44歳の誕生日。昭和天皇が雨の中、外套を着ずに青少年学徒を閲兵したと聞き「実にご立派だと思います」とたたえ「それなればこそ命を投げ捨てて体当たりをする特攻隊も出るのです」と、つづられている。

学友の明石元紹(もとつぐ)は「そうとでも書かない方がおかしい世の中だった」と回顧する。

 

陛下が、このような作文を書かれていたことに少し驚きを感じますが、それは当時の状況を知らないものの言葉でしょう。皇太子として、いずれは自分が大元帥として軍を率いる立場になることは陛下もご存知だったのですから、その責任の重さに震えていたのでしょう。

そして敗戦を迎え、焼け野原になった東京を11月にご覧になった時の言葉が残されています。

 

原宿の駅に降りた時、あたりが何もなかったのでびっくりした。

 

記事の最後に、こう書かれています。

 

敗戦翌年の1946年1月、陛下は書道で「平和国家建設」と記した。明石はその6文字を「どこまで当時の陛下の思いも反映していたか分からない。はやり言葉みたいなものだった」と語るが、後の陛下の歩みを貫く言葉となる。

 

戦争と平和を実体験した自分の歴史的な役割というものを、平成天皇は深く自覚されたに違いありません。そして今日は、敗戦記念日。政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれます。来年 4 月に退位される天皇陛下は、最後の参列となります。きっと万感の思いを持って語られるに違いありません。

陛下の思いを私達も引き継ぎ、決して戦争に加担しない国として、これからも平和で世界から尊敬される日本を築いていかなければなりません。

 

 

平戸

■20180814(火曜日:曇)

 

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■今朝は走りました。昨夜から今朝にかけて、急に涼しくなりました。一日で夏から秋に季節が移り変わったのかと思えるほどです。5時に起きて準備をして、走り始めたのが5時半頃。暑さも峠を超えたためか、昨夜熟睡できたためなのか、あるいは右太ももの痛みが軽減したためなのかは分かりませんが、今朝は今までとは違って気持ちよく走ることができました。

 

 

やはり痛みが無いというのは有り難いことです。全く違和感がない、という訳にはいかないのですが、明らかにこれまでとは違います。休養が取れて、炎症が収まってきたのでしょうか。6.16km を走り、総計51.81km、残り17日で 48.19km まで来ました。

 

 

■先週の夏休みで九州へ出かけ、台風と台風の合間に楽しい時を過ごすことができました。今また台風15号が九州に近づきつつあるようです。大雨の恐れがあると警報が出ています。本当に幸運でした。暑くてバテましたが、大雨に遭うことを思えばなんでもありません。

 

 

最後に泊まったのが平戸でした。Wikipediaによれば、

 

 

平戸市(ひらどし)は、長崎県北西部の平戸島とその周辺を行政区域とする市で長崎県と九州本土の市としては最西端に位置する都市。旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だった。

1641年(寛永18年)- オランダ商館が長崎の出島へ移転、平戸での南蛮貿易が終焉を迎える。

 

 

と、あります。つまりは出島に窓口が集約される以前は、国際貿易で繁栄を謳歌した、ということです。

 

 

誰もが、そしてどの地域も歴史の中で生きるしかありません。平戸も例外でありませんでした。しかし貿易で繁栄した地域というのは、開かれた、そして異文化を取り入れるという点で、独特の佇まいを見せます。そこが魅力なのです。町並みも古い佇まいを残しており、のんびりと歩くには、とても魅力的な街に思えます。

 

 

ただし車で通るだけですと、道幅は狭いし、近代的とは言えない、その町並みは不便といえば不便です。しかし近代的な町並みなどは、掃いて捨てるほどあります。税金を投入して近代化しても、少しも魅力的でないのは、各地を訪れれば歴然としています。古いものこそが新しいのです。

 

 

アジアとともに

■20180812(日曜日:曇)

 

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カトリック平戸ザビエル記念教会です。

 

■今朝は走りました。いつものコースを 6.14km 走り、これでようやく月100キロ走の計画に追いつきました。合計39.65km となり、残り19日で 60.34km となりました。

 

先週はSunと二人で夏休み。九州旅行を楽しみました。レンターカーを使っての結構目いっぱいの移動旅行です。計算すると毎日220キロ超を走ったことになります。借りた車はホンダのフィットでした。リッター当たりの平均走行距離が25キロの旅でした。ですので、最初に満タンの状態でスタートして、最後に車を返却するまで給油する必要がありませんでした。ハイブリッド車は違います。

 

 

■昨夜は富士山静岡空港から帰宅したのが、21時半頃。窓を開け放って荷物を整理したら、さすがに疲れて、それからお風呂に出かける元気はありませんでした。今夜のお楽しみです。

 

旅行中も暑苦しい夜でした。ホテルですと冷房を入れないと寝付けないのですが、高千穂で泊まった民宿「暖心(のごころ)」では、寝る時には冷房をかけていたのですが、夜中に目が覚めて、思い切って窓を開け放して冷房を切りました。

 

女将さんの話では、このあたりでは夜は冷房を入れることは殆ど無いようですが、今年は例外とのことでした。ただ冷房を入れて寝ることで家族三人が全員風邪を引いたそうです。山の中ですから、昼間どれほど暑くても、夜は冷えるのです。私が泊まった部屋は、東と南に窓がある構造なのです、風が抜けずに窓を開けるだけでは寝付けないだろう、と心配して冷房をかけたのですが、杞憂でした。十分涼しく、明け方には寒いほどに冷え込みました。

 

昨夜は我が家に帰って、いつもの部屋で寝たのですが、冷房など必要ありませんでした。いや扇風機すら必要なく、熟睡できました。我が家が一番快適です。単なる慣れなのでしょうけれど。

 

 

 

立秋

■20180807(火曜日:晴れ)

 

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昨年出かけた積丹半島の様子です。

 

■昨日に続いて今朝も走りました。明日からSunと二人で夏休み。ということで、走ることができるかどうか分かりません。昨年は旅の途中で一度走りました。今回は分かりませんので、できるだけ貯金をしておかないと、あとが大変になります。ということで、今朝も 6.14km を積み重ねて、総計 29.31km、残り24日で 70.68km となりました。

■昨夜は8時過ぎでしたか、ものすごく大きな雷鳴が轟き、大変驚きました。近くに落雷したのでしょう。連日の猛暑ですが、台風13号の接近で大気が不安定になってきています。

9日に夏休みに出かける友人の飛行機が無事に出発できるかどうか。夏休みは中止だ、と奥さんに提案したそうですが、拒否されたようです。

 

(●^o^●)

 

■今朝は、さすがに昨日までの暑さとは異なり、走っていても、涼しさすら覚える風でした。そうです、今日は立秋でした。もう今日からは、残暑お見舞いなのです。

Takuが勤める法律事務所の先生から、昨日暑中お見舞いを頂きました。滑り込みセーフです。

 

(●^o^●)